moriさんのブログ

ドノバン

バラバジャガ/ドノバン 最初に手に入れた洋楽アルバムがコレです。友人から貰いました。1968年だったと記憶しています。余談ですが自分で初めて購入したアルバムは‘クリムゾンキングの宮殿’。コレについては、後日 お話しします。 ドノバン フィリップス レイチ 名前も素敵です。曲の良さは 言うまでもなく なんといっても ドノバンの一番の魅力はその声にあるのではないでしょうか?男ウィスパーとでも言いますかなんとも素晴らしい声なのです。ルックスも とってもナイス!ヒゲを生やすと フィルリノットに、似ていますが、ほんのご愛嬌です。アルバムジャケットが見開きでないのが残念ですが、名曲〜天国の愛に包まれて〜を含むダブルアルバムが立派な箱入り(オール シングス マスト パスと同じ仕様)なので許してしまいます。ジェフ ベックが参加していますが当時はジェフを知らないし特に感動はしていません。ただ曲のテーマには 驚きました。〜僕の好きなシャツ〜アトランティス〜は、まだしも〜西海岸で待つスーザンへベトナムで戦うアンディより〜には 参りました。初めて反戦歌を認識させられたのでした。私にとって、いつまでも、大切な一枚なのです。

シンリジーのビデオ

久しぶりにシン リジーのライヴビデオを見た。ギタリストを二人擁する(しかも二人共レスポールしか弾かない!)バンドでとにかくカッコ良いし、日本公演の際は 成田から吉原直行をキメこむ、ちゃんとした?ロックなバンドでもあった。で これかマンフレッドマンズ アースバンドのどちらかで ミッジ ユーロがサポートメンバーとして来日していた。ステージでは、ほとんどギターばかり弾いていたが、後に彼が結成したウルトラボックスが、妙にロックぽく感じられた訳は ミッジのギターオリエンティッドのためだったと確信している。サポートで思い出したが ボブ ディランの時は驚いた。キング クリムゾンのドラマーのイアンウォーラス そして あのミック ロンソンが同行していたのだ。(長渕 剛のギターが布袋寅泰!。どころではない)。ちなみに武道館でのディランは5日公演だったが なか日はエレクトリックライト オーケストラの公演に組み変えられておりバンドの楽器をセッティングし直す必要があった。スタッフは、たった二人。徹夜でその作業をやったが そのうちのひとりが私。誰もいない夜中の武道館。イアン ウォーラスのドラムを無断で叩きまくってやった!

シャングリラ

チャットモンチーのシャングリラは 最近のお気に入り。曲 アレンジ 音 なかなか良いと思う。近年日本のポップスは、なんとなく歌詞重視の傾向で、大いに不満だったから、音を聴かせるヒット曲が出ると、ちょっと嬉しい。… 松尾清憲さんの1STソロアルバムに 同名の曲があるのを 思い出した。20年以上も前の作品だけど 良明さんが音にこだわり倒したアルバムだし結構色々憶えている。当時サンプラーは イミュレータの1号機しかなく、これが300万円ドラムマシンはリンドラム1号機だけで、これが170万円。今は楽器も音も随分安くなった。

明日に架ける橋2 みのもんた

みのさんは、日本一忙しいテレビの人。最近は司会業だけでは飽き足らず、コメンテーターの体(てい)。銀座で豪遊しながら自らを庶民と呼びあれもこれもと仕事を独占したうえで格差社会を憂い・・・1968年69年、オールジャパンポップス20というラジオ番組を聴いていた。毎週日曜日の午後 パーソナリティがチャートの推移に沿って曲を紹介する番組なのだが曲をフルサイズちかくプレイするし、進行もテンポが軽妙で良かったし。そういえば69年 明日に架ける橋 が初登場したときは 12位か13位だったっけ?そうですよね?DJの、みのさん!

明日に架ける橋

11 月27日 NHKがこの曲を題材にした番組を放送していた。 ブリッジ オーバー トラブルド ウォーターが 明日に架ける橋。そういえば60年代の洋楽には結構日本語タイトルが付いていた。S&Gでは他に エイプリル カム シー ウィルが 四月になれば彼女は ホームバウンド が 早く家に帰りたい など。一方で サウンド オブ サイレンス や ボクサー みたいに そのままのモノもあり 邦題を付ける付けないのいずれにしても決断には相当な時間や労力を費やしたのだろうと、推測出来る。どの曲にもタイトルに違和感がないのがその根拠である。
ピンク フロイドのアトム ハート マザー〜原子心母〜げんししんぼ〜(口にするともっと凄い!)マザー牧場と聞いただけで、ゲンシシンボと呟いてしまう。プログレ黎明期、あの時期の刷り込みが原子心母だった可能性は高い。ただの直訳なんじゃないの?というムキもあるが 断じて否である!。バッドフィンガーのキャリー オン ティル トゥモローこれが〜明日(あした)の風〜。曲を聴いて貰うと解るはずで 明日の風に曲を付けたのではないか?と錯覚するくらい整合の極みだといえる。などと考えていたら番組はいつの間にか終わっていた。

11月24日at 渋公

ムーンライダースのライヴを観ました。 30周年記念ライヴです。ムーンライダースは粋(いき)にこだわるバンド。江戸気質と言っても良いのかも知れません。ステージ上で老いた肉体をさらしつつ同窓会的に観客と懐かしさを共有しようなど、潔しとしないのです。エクスキューズをいっさい排した慶一氏の最低限のMC、演った曲が新譜中心であり、そのクオリティが高レベルで維持されていながら、さらに進化させようという気骨があからさまに伝わるある種の戦慄。真骨頂です。武骨 気骨真骨頂、ライダースのステージには沢山の骨がありました。

フライハイト

フライハイト正式にはミュンヘナー・フライハイト。ギャングウェイの次にハンマーレーベルから出せたらと考えたのがこのバンドだった。キーピング ザドリーム アライブがロンドンで 軽くヒットし始めた頃 ケルン国際空港のラウンジバーで 飛行機待ちの時間コーヒーを飲みながら何気なく覗いたカウンターの中にフライハイトのポートレートを見つけた。よく観るとサインがしてあったので、ウエイターに何故ここにこんなモノが有るのか尋ねてみた。するとつい先日、まさに私が座っているこの席で 彼らがコーヒーを飲んでいたと言うのだ。プロモーションのための飛行機待ちだったらしい。私は大ファンである事を告げ その写真をちょっと多めのチップを代償に いただいちゃった訳であるがなんというか勝手に運命を感じてしまうのだった。結論から言うと プロデューサーのアマンド ボドカーに電話したらニベもなく切られてしまいこれも運命だと とっとと諦めるのである。話しはそれるが アマンド ボドカーのプロデュース作品にインガ&アネッテフンペというアーティストのモノがあるが、 そのアルバム、スイミング ウィズ シャークスは PPGシンセサイザーがメインで使われてるアルバムとしては 代表作と言うべき知られざる名ポップアルバムである( それにしてもドイツモノのアルバムジャケットのヒドさは なんとかならないか)。インガ フンペは後にトレバーホーンのプロデュースでカウボーイソングという曲をリリースするのだが これがまた!素晴らしいを何回言っても言い足りない特Aランクの必聴モノだから ぜひ聴いて欲しい! ところで 評論家でライターの岩本晃市郎氏が氏の著者 ポップ ミュージック ストリームでギャングウェイとフライハイトを同じページで取り上げている。発行が1992年。全くの偶然だが 相当驚いた。岩本さんは、今は雑誌ストレンジデイズを中心に活動されているようだが、以降私はこの人の書きモノは無条件に受け入れる事にしている。岩本氏にも勝手にナニかを感じぜひお会いしてお話しでも、と、思っているが 電話して切られるのがイヤだから 躊躇している。世の中には 運命がゴロゴロある。のか?

ギャングウェイの歌詞

ギャングウェイの歌詞は全て英語で書かれている。なぜ英詞なのかヘンリクに聞くと英詞の曲ばかり聴いて育ったからだと言う。まずデンマーク語で考えて後で英語に訳すのかの問いには「最初から英語。そうでなければ言葉が音符にのらない。」と。曰く歌詞なんてどうでも良いらしい。バンドのアイデンティティーは曲そしてサウンド。本当はヘンリクも歌詞には相当気を遣っているはずで あんまり触れて欲しくないという事か。

キャンディマン

ギャングウェイのメンバーは全員おお酒呑みである。何度か集まりに参加したが、放っておくと、ひとり当たりビールだと1ダースは軽い。金が係るので、ビールの前にキャンディマンという強い酒で酔いを回すのだ。これがとんでもない酒で、高濃度アルコールにキャンディがしこたまブチ込まれてあるという代物。デンマークではイリーガルらしいが大抵の酒屋に置いてある。極マズ!ネーミングが良いので 紹介しました。

ハンマーレーベル設立秘話

1988 年 私は某女の子三人組のアルバムプロデュースを引き受ける事になった。予算内であれば どんな制作方法でもOKという有り難いお話。バブリーなそして海外レコーディングが茶飯事に行われていた時代である。曲調がビートルズぽいものがあったのでミックスダウンスタジオはジョージ・マーティン氏所有のエアスタジオ、アレンジが ストロベリー スイッチブレイドぽいモノがあったので エンジニアは彼女たち最大のヒットであるシンス〜イエスタデイのミックスを担当したトリガー氏と、短絡的に決めた。こんな事が許されたのだった。
ワンショットの企画モノアルバム。ちなみにアレンジにはポータブルロックの鈴木智文と中原信雄、ガイドボーカル及びコーラスに野宮真貴嬢を起用。録音は全て東京。重ねていうがいい時代である。ともあれロンドン行きのバジェットをめでたく確保。ただ残念ながらトリガー氏のブッキングは本人が、すでにエンジニア業をリタイアしており 諦めざるをえなかったのだが。エアスタジオでは今思い出しても身震いするくらいの素晴らしい時間を過ごす事ができた。ジョージマーティンが我々のスタジオを覗きに来てくれたり

スタジオを訪れてくれた ジョージマーティン氏。スタジオ関係者は ビッグ ジョージと呼ぶ。

となりのスタジオではジェフリンが完全にあのまんまの風貌でセッション中だったりと。そして、通路にはビートルズのCDマスタリングのために引っ張りだされたサージェントペッパーズの録音に使用された4トラックマルチレコーダ(ジョージマーティンが教えてくれた!)が無造作に置かれており(私はなにかしらのご利益を期待して こっそりとテレコのヘッドを指で擦ったのだった!)という様な、まったくもって金輪際、夢のような話!
ところで 先に書いたトリガー氏とのオファーの中で「自国でもなかなかオファーがなかった自分に ファーイーストから打診があるとは興味深い。オマエがロンドンに来た時 スタジオに遊びに行っていいか?」そんなやりとりがあったのもすっかり忘れていたロンドン滞在の二日目か三日目だった。彼はホントに訪ねて来てくれたのである。ミックスダウンの途中だった事もあり後日食事でもしましょう、ついでに ストロベリースイッチブレイドの プロデューサーであるデヴィッドモーション氏にも逢わせて欲しいと話をして別れた、その翌日。ロンドンのとあるパブにて。私は 再び夢のようなそして劇的な時間を過ごす事になる。ここで二つの事を前提に、 話しを進めたほうがいいかもしれない。ひとつは、当時私の一番のお気に入りヘビーローテーションは 偶然手に入れたギャングウェイの1STアルバム。 とにかく聴きまくり!どれくらい入れ込んだかといえば、他のギャングウェイのレコードを求めて当時ヨーロッパ最大といわれていたドイツのケルンにある、サターンレコードというショップまで足を運んだほどなのであった。もうひとつ。情けない話しではあるが 私の英語力が 相当稚拙であった事。怖いものなしというか図々しいというか。ただこの事で 話しをよりドラマチックに感じていただけるのではないだろうか。で、ロンドンのパブに戻る。私の目の前にはトリガーとデヴィッド モーションが 座っている。我々はいろんな事を、説明し難い、独特な緊張感を享受しながら饒舌に?話し合った。勿論英語で!(自虐ネタは これでやめたい) そんなこんなの会談も佳境に差し掛かったその時。私「 ところでデヴィッド。次のあんたの仕事はなあに?」

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