ハンマーレーベル設立秘話

1988 年 私は某女の子三人組のアルバムプロデュースを引き受ける事になった。予算内であれば どんな制作方法でもOKという有り難いお話。バブリーなそして海外レコーディングが茶飯事に行われていた時代である。曲調がビートルズぽいものがあったのでミックスダウンスタジオはジョージ・マーティン氏所有のエアスタジオ、アレンジが ストロベリー スイッチブレイドぽいモノがあったので エンジニアは彼女たち最大のヒットであるシンス〜イエスタデイのミックスを担当したトリガー氏と、短絡的に決めた。こんな事が許されたのだった。
ワンショットの企画モノアルバム。ちなみにアレンジにはポータブルロックの鈴木智文と中原信雄、ガイドボーカル及びコーラスに野宮真貴嬢を起用。録音は全て東京。重ねていうがいい時代である。ともあれロンドン行きのバジェットをめでたく確保。ただ残念ながらトリガー氏のブッキングは本人が、すでにエンジニア業をリタイアしており 諦めざるをえなかったのだが。エアスタジオでは今思い出しても身震いするくらいの素晴らしい時間を過ごす事ができた。ジョージマーティンが我々のスタジオを覗きに来てくれたり

スタジオを訪れてくれた ジョージマーティン氏。スタジオ関係者は ビッグ ジョージと呼ぶ。

となりのスタジオではジェフリンが完全にあのまんまの風貌でセッション中だったりと。そして、通路にはビートルズのCDマスタリングのために引っ張りだされたサージェントペッパーズの録音に使用された4トラックマルチレコーダ(ジョージマーティンが教えてくれた!)が無造作に置かれており(私はなにかしらのご利益を期待して こっそりとテレコのヘッドを指で擦ったのだった!)という様な、まったくもって金輪際、夢のような話!
ところで 先に書いたトリガー氏とのオファーの中で「自国でもなかなかオファーがなかった自分に ファーイーストから打診があるとは興味深い。オマエがロンドンに来た時 スタジオに遊びに行っていいか?」そんなやりとりがあったのもすっかり忘れていたロンドン滞在の二日目か三日目だった。彼はホントに訪ねて来てくれたのである。ミックスダウンの途中だった事もあり後日食事でもしましょう、ついでに ストロベリースイッチブレイドの プロデューサーであるデヴィッドモーション氏にも逢わせて欲しいと話をして別れた、その翌日。ロンドンのとあるパブにて。私は 再び夢のようなそして劇的な時間を過ごす事になる。ここで二つの事を前提に、 話しを進めたほうがいいかもしれない。ひとつは、当時私の一番のお気に入りヘビーローテーションは 偶然手に入れたギャングウェイの1STアルバム。 とにかく聴きまくり!どれくらい入れ込んだかといえば、他のギャングウェイのレコードを求めて当時ヨーロッパ最大といわれていたドイツのケルンにある、サターンレコードというショップまで足を運んだほどなのであった。もうひとつ。情けない話しではあるが 私の英語力が 相当稚拙であった事。怖いものなしというか図々しいというか。ただこの事で 話しをよりドラマチックに感じていただけるのではないだろうか。で、ロンドンのパブに戻る。私の目の前にはトリガーとデヴィッド モーションが 座っている。我々はいろんな事を、説明し難い、独特な緊張感を享受しながら饒舌に?話し合った。勿論英語で!(自虐ネタは これでやめたい) そんなこんなの会談も佳境に差し掛かったその時。私「 ところでデヴィッド。次のあんたの仕事はなあに?」
デヴィッド「近々デンマークのバンドをプロデュースする予定なんだ。」私 「へぇなんてバンド?」デヴィッド「ギャングウェイっていうんだけど知らないだろ?」私(ってか)オレ「ほわっと(WHAT)!」・・・ハマりにハマったデンマークのバンドを、今、自分の目の前にいるイギリス人がプロデュースするとは!注)この時点ではすでにシッティング イン ザパークのポリグラム盤はリリースされていたが私は知らなかった。ポリグラム盤のリリース直後、ギャングウェイの次のアルバムもデヴィッドがプロデュースすると決まっていたわけだ。世界デビューを果たしたギャングウェイである。マイガール アンド ミー もヒットしたし いよいよ日本盤もリリースされるだろう。の はずがあろう事かその兆しもない。 デヴィッド モーションとは 以来交流を続けており、CHARAのプロデュースの折りは私の家に宿泊するまでの付き合いになっていた。そんなこんなで東京の、とある寿司屋にて。 私「この店は イカが美味い。」デヴィッド「酒くれ!さっきのキル ザ デビル(鬼ころし)じゃなくて ミスティ ハーバー(浦霞)を くれ!」 などと宴も大盛り上がりのその時であった。デヴィッド「ところでギャングウェイの日本盤はリリースされないのか?」私「なんだかねぇ。」デヴィッド「最後に玉子もらおうか。」私「・・・。レーベル立ち上げて そこから出そうかな。」デヴィッド「ワンモア 酒!」私「やってやるぜ!」


寿司食って満足した デヴィッド モーション氏。

という訳で何のノウハウも 無いくせに ギャングウェイ専門レーベル ハンマーレーベルの立ち上げを 決意したのであった。幸いにも怖いものなしの姿勢は失われておらず デヴィッドからヘンリクボーリンの住所を聞きだし 意気揚々とデンマークへ旅立ったのであった。


ギャングウェイのボーカル アランの家。彼らに初めて会った時。

怖いものなしと図々しさを 維持しつつ 同じく英語力もさほど進歩しておらず 私は、またしてもしびれるシチュエーションに身を置くことになった。私「はじめまして。ギャングウェイのレコードを日本でリリースしたいのですが。」ヘンリク「へぇ〜。なんてレコード会社?」私「これから作るんだけど。」ヘンリク「・・」〜一時間ほど沈黙〜私「多分ハンマーレーベルです。」〜テーブルの上にはすでにビールの空き瓶が 20*30*40〜ヘンリク「いいけど。」多分、前代未聞の契約交渉?が 結実した瞬間であった。無論ポリグラムとの恐ろしいシバリの契約に関して デヴィッドモーションのアシストがあった事は 言うまでも無い。さらにメジャーレコード会社で在るが故の膨大な契約書に恐れを成した私が、難解な英文を読み解く行為を速やかに放棄し、その方面のエキスパート探しに奔走した事は、我ながら英断ではあった。 と、云うわけでハンマーレーベルはギャングウェイのアルバムをリリースするために作られたのでした。