1978年

西荻窪のいつものジャン荘で卓を囲んでいるところへ仲間のひとりに電話があった。彼の友人からで、自分の代わりにバイトに行ってくれるヤツ誰かいないか?とのことだ。僕はその日勝負感が全く冴えず、たぶんこのまま負け続けるんだろう、また明日からバイトしなきゃ、みたいなふうに考えていたので、自分が引き受けることに全く躊躇がなかった。内容を聞くと楽器を運ぶ仕事だという。僕は徹夜麻雀のその足で西新宿にあるバイト先へと向かった。あと数ヶ月で24歳になる、1978年春のハナシだ。

バイト先はレオミュージックという会社である。猫の手も借りたいくらいの忙しい時期だと思われ、僕は一日中楽器を運ぶ手伝いでクタクタに疲れてしまった。にもかかわらず、このバイトを一日で辞めるのは惜しい気がしたので、一週間程続けさせてもらえるようお願いした。そして一週間後には正式に社員として雇ってもらっていた。とっとと社員にしてもらったのは、アルバイトだと暇になるとクビになるからで、一週間経っても猫の手とそれほど大差のない僕にはそんな危惧があったんだと思う。それにしても…。

30年前のあの日もし麻雀にツキがあったら、あるいは別のアルバイトを選択していたら…。こうして昔のことを思い返すと、我ながらなかなか場当たり的だ…しみじみ感慨深い。まぁ人間にはさまざまな人生があるということだが。音楽ギョーカイで仕事があればイイなとは、少なからず思っていたし、〜レオで働く〜この事を直感的に決めたのは、きっかけはどうであれ軽率でも盲動でもなかった。

レオミュージックの当時の業務内容は、楽器のリース、販売、修理、調律、そしてPAの5部門。クライアントのほとんどがギョーカイ筋。特にロック、ポップスの外タレコンサートへの楽器リースはほぼ独占していると言って良い。そしてレオにおける、とっておきの花形仕事とは、外タレジャパンツアーにスタッフとして同行することだ。スタッフはツアー前日ともなるとマイケースの中身のチェックに余念がない。テスター、ヒューズ類、真空管、ラジオペンチ、その他細々したものはその人専用のモノである。僕はその様子を羨ましく眺めていた。

そして、何年かやっていればいずれは自分も…、などとも思った。とはいえ当面はスタジオ、ライブハウス、ホールへの楽器搬入搬出である。徹夜麻雀ばかりのナマった身体には慣れるまでが大変だった。覚えなきゃいけない事も沢山ある、これはさらにモンダイだったが。ただ一般的にも云われることだが、未知の世界に飛び込んだ人間は、知識や経験が全くない分コンプレックスなど持ちようもなく案外素直になれるものだ。したがって、乾いたスポンジに水を含ませるように〜云々。果たして自分はどうだったのだろうか?