1978年その2

1978 年〇月〇日渋谷エピキュラスホール。階段を使って三階まで搬入。ハモンドB3、アンペグV4B、CP70、よりによってレオの楽器重い順ベスト3の揃いぶみ。他にもドラムキット、ギターアンプ、キーボード多数、これをふたりで運び上げなければならない。万が一にも、大事な楽器を階段から落とさないよう、楽器と身体をくくりつけるロープを渡される。楽器が墜ちたら人間も道連れ、そういうことらしい。嫌が応でも気合いを入れざるを得ない。渋谷‐屋根裏、新宿‐ロフト、搬入搬出が大変なところは一杯あった。

197〇年中野サンプラザ。昼ビリージョエル、夜スコーピオンズ、この1日2公演のチケットを事前に購入していた。日曜日にあたるその日を、ライヴ浸けにしようとモクロンだわけである。ところがまさかの日曜出勤。新入社員だから異議申し立てなんかできるハズがない。仕事はなんとこの2アーティストへの楽器リースだった。僕はビリーの楽器をセットした後、客席に座ってじっくり鑑賞した。そしてビリーの楽器をバラし、スコーピオンズの楽器をセットしたのち、再び客席に戻って、半分眠りながら聴いた。

ステージサイドでタダ観が出来たのだからダフ屋に売りゃよかったと少し後悔した。ビリーのコンサートは『ストレンジャー』発売直後のプロモーション、という事もあり相当な熱演だった。「これは売れる!」と思ったが本当にブレイクしたので次回からの来日公演はアリーナばかりになってしまった。この規模のホールが合っていそうな気がするが‥。スコーピオンズはマーシャル10スタック使用のハードロック王道仕様。『白いジミヘン』ウィリッヒロートの超絶15分にも及ぶ逆立ギターソロが光った。

覚えなきゃいけないことが沢山ある。まず着手?したのはギョーカイ語のマスターだった。覚える必要のある事柄はそのつどトイレに貼り出したが、最初に貼ったのは[CつぇーDでーEいーFえふGげー]例えばつぇーまんとは1万、イーマンは3万のことだが、なぜAから始まらないのだろうとか、Eはドイツ語だと、えーと発音するんじゃないのか、6以降はどーなるのか、などの疑問があるにしてもまず頭ごなしに覚えてしまう。なにせレオでは頻繁に聞く言葉なのだ。僕は人との会話で間違いの無いように、いつも頭の中で指を折っていた。

次は、あの言語の異種アンビグラム化ともいえるギョーカイ逆さ言葉だ。それにしてもギターはターギ、ベースはスーべなのにドラムはドラム、アンプもアンプである。これには法則がありそれをわきまえた上で使わなくてはならない、僕がこのことを完璧に理解したのはしばらく経ってのことだ。慣れてしまえば「ビータ行くんでデーマンくらいバンスしなきゃ。」などと聞いたら「旅(ツアー仕事)に行くのに二万円前借りしなきゃ。」の意味なんだと、すぐさま理解できるようになる。 〜人間は何にでも慣れられる〜byドストエフスキー

肝心の楽器はどうやって覚えたか。音楽聴くだけ人間の僕が楽器を手にした経験といえばスペリオパイプぐらいだ。従って均等にナンにも知らない。で、思いついたのが、楽器アンプ類を個別に覚えるのではなくジャンルに振り分けてしまう方法だ。説明すると…まずメロトロン〜プログレ、マーシャル〜ハードロック、ヤマハのドラムキット〜フュージョンみたいに、適当にカテゴる。そのうえで誰がどの楽器を使ってナニを鳴らし、そしてどんな音を出しているかをレコードで聴いて音で確認し、ジャケットの写真やクレジットを観て名称を確認、

そして自分で楽器の音を出してみる。僕は1965年以降のロックポップスの系譜を自分なりに持っているので、この方法のおかげでジャンル、ミュージシャン、楽器、音、年代などを包括して覚えることができた。『ギョーカイ語、楽器、あと外タレツアーに行くために必要なのは…アースを落としたり…壊れたものは修理できなきゃだめだ…軽く強電弱電の知識くらいは…電源タップやケーブル類も作れるようにならないと…。』こんなことを考え始めたころシンセサイザーを触るきっかけになる、些細な事があった。

1978年〇月〇日 音響ハウスにミニ ムーグを納品。コスモスファクトリーのレコーディングだった。通常は楽器を置いて引き上げるのだが、その日に限ってチューニングしてくれと頼まれてしまった。どこをどう操作するのか全くわからなかった。何でも覚えようと決めた矢先だし、事務所に帰るなり先輩にチューニングのやり方を教わった。ムーグの他にはアープオデッセイや国内メーカーのシンセサイザーもあったが、ついでに覚えることにした。元々プログレファンだし、シンセサイザーにも興味があったはずである。

プログレといえばメロトロン…そういえばレオにはメロトロンがない!。先輩に聞いたらレオ関連の会社にはあると言う。シンセサイザーを中心にスタジオワークをサポートするRMCという会社‥。僕はRMCとその会社の仕事内容について、興味と憧れを日を追うごとに増幅させていった。遂には直訴、出向転勤願い?を申し出たのだった。なぜかすんなりお許しが出たのは、レオにおける僕がそれほどの戦力でもなかったからだし、RMCもたまたま車の運転ができる人材を探していた、というふうに思われる。ともあれ併せて幸運だった。

昔はメロトロン入りレコードは半ば無条件で買った。僕の場合メロトロンが入っていないプログレはプログレでは無い!くらいに思っていた。キースエマーソンがメロトロンを使わない理由は短気な性格が災いしての事だから黙認したが‥。あの人はアタックが遅いものは駄目なんである。弾いたらすぐ音が出ないとイライラして傍に置いてあるナイフで人を刺す恐れがあるのでアブナイ。しかし幾ら好きだからといって、全曲がメロトロン弾き語りのアルバムもいかがなものか?エニドのロバート ジョン ゴドフレイのソロは聴いているうちに眠る。

ところで遅れ馳せながら、レオの社長は長沢尚敏氏。みんなはチョーサンと呼んでいる。僕にとって、この人以上の恩人はギョーカイにはいない。受けた恩の話をするのは吝かではないが、やっぱり自分の胸にくくっておくべきものだろう、と考えるのでここで言及するのは止めておく。なんでも武士道においては、義理は即ち義務、だそうだが…。ともあれチョーサンの度重なる「やってみろ!」のおかげで、僕は、ほぼ一年間RMCで働けることになった。