1980年

レオに戻ったのは確か80年。リース部のチーフに「これでレオのシンセも安泰だな」と言われた時は根が案外真面目なので焦ってしまった。「RMCでシンセ勉強してきました」の手前、知らない解からないとは言えない。でも実はたいしたことナイ僕は、しばらくはなんだかコソコソする面持ちで、通常業務の合間にミニムーグやオデッセイでオペレーター仕事もやっていた。結局RMCが存在する以上、レオにおける基本的な僕の役割といえば、リースで出すシンセサイザーが正常な状態であるかどうかをチェックする、ほとんどそれだけに過ぎなかった。

モーリSTでのベンチャーズのレコーディングにオデッセイを持っていった。僕がスタジオ入りした時には、すでにメンバーが三人ほどコントロールルームで談笑していた。ガタイの大きさに一瞬たじろいたが、それよりどんな音を要求されるのかが不安だった。だいたい技術や経験が明らかに足りない男が、ミナサンコンニチワと参上したわけで、考えてみると相当無謀である。固唾を呑みながら待つ僕に発せられた言葉は一言、「ロコモゥーティウ゛」。蒸気機関車が走り出してトップスピードに達するまでの音だ。まぁラッキーというかなんというか

これはかつて自習でトライしていた音だった。なんだか自分は結構強運かもしれない、そう思った。それにしてもスタジオ仕事でオデッセイにお呼びが掛かる場合は、SEで使われることが多かった気がする。個人的には、例えばスティーブ ヒレッジのアルバム『グリーン』で聴かれるリード音やS&H高速シーケンスみたいに、普通に楽器(キーボード)として使う方が好きなんだが。モノフォニックシンセサイザーでミニムーグと人気を二分しながら、総合評価でなんとなくいま一歩のオデッセイ。近頃では誰も口にしなくなった。寂しい…。

ミニムーグ、アープオデッセイ、アーププロソリスト、アープアキシー、コルグ800DV、ミニコルグ、ヤマハCS80、ローランドSHシリーズ、ゼンハイザーボコーダー、大体こんなラインナップだった、80年までのレオのシンセサイザーだが、考えてみるとムーグ登場からこの時期までの10年以上、やけに静かなシーンだったものだ。一方80年代半ばまでの5年間、これはなんというか凄まじい軍雄割拠の時代だ。僕がレオを辞める84年までには、レオに無いシンセはフェアライトとシンクラビアくらいと言ってもいいくらいに増えていた。

シモンズドラム、プロフェット5、オーバーハイム4ボイス、コルグモノポリ、ポリ6、PS3200、ローランドジュピター4、ジュノ、TR808、リン1、イミュレータ1 、そしてMC4、これが1981年くらいまでに、そして1984年までにはプロフェット10、T8、オーバーハイムOBX、OBXa、PPG2.3、イミュレータ㈼、シモンズ2、3、360システムズ、カーツェルK250、ローランドJP8が出揃っていた。(たぶん記憶漏れ在り)。イッキである。とてもじゃないがトイレに貼り出すだけで覚えられる量ではない。しょうがないので風呂場や天井にも貼り出した。

チョーサンは楽器に該博であるだけでなく、新製品を購入する決断もとにかく早い。記憶が不確かだが、少なくとも僕のプログラマー仕事が軌道に乗りだす82年くらいまでは、僕が進言あるいはオネダリなどする以前に、チョーサンの決裁でいつの間にか新しいシンセがレオにある、そんな状態だった。RMCがいつ解散したのかも憶えていないが、そのRMC解散後のスタジオ需要をレオでリカバーする思惑があったのかもしれない。何れにしてもチョーサンからの明確な指示はなく、暗黙の了解のもとひとつずつ触りながら覚えていくしかないのであった。

ローランドのJP4、作った音をプリセットできる点で画期的だった。しかもポリフォニックだ。この楽器を思い出すとき、亡くなった木田高介さんを同時に思い出してしまう。木田さんはJP4がお気に入りだった。レコーディングでオファーがあると大抵木田さんの仕事だったくらいだ。(なんとなく新宿のテイクワンSTが多かった記憶がある。)いつも、楽器のみオペレーターなしのオファーだったが、ある時どういう訳か僕が音を作ることになり、それをきっかけに会うたびに声をかけてもらえるようになっていた。

それだけに突然の訃報を聞いた時はショックだった。………木田さんの話のあとで少し気がヒケルが、JP4には番外編ともいえる思い出の仕事がある。