日本テレビ音楽院
〇月〇日日本テレビ音楽院 わかり易いシンセサイザーとその操作方法を教えてくれる人間も一緒にとのオファー。ジュピター4を持っていった。指定の時刻より少し早めにスタンバイ。待つこと数十分、なんとアノ松平健さんがお一人で登場。まさかスタジオを間違えたかと焦り気味の僕を後目に健さん、「宜しくね」と笑顔。歌謡ショーで健さんがシンセサイザーをイジクってオバサマたちを驚かせるという嗜好。できるだけ派手でスゴい音を数種類所望され、更に二時間ほど操作方法等レクチャー。稀少な経験だが果たして本番がどうだったか…
シーケンシャルサーキット社のシンセは、常にプログラマー時代の僕のメインマシンだった。プログラマーという職種がギョーカイに定着するきっかけになったシンセだし、ほとんどのプログラマー諸氏にとっても『一家に一台』的シンセサイザーだったに違いない。プロフェット5に関しての記憶ではバージョンが4あるいは5種あった様に思う。レオにきたプロ5はバージョン2からだ。バージョン1はひょっとしてプロトタイプだったかもしれないが、オートチューニング機能が無かった。(これはジャコ パストリアスのリハーサルの時、見て確認した)
バージョン2は後の3と比べてピッチなどの安定感に欠けたが、個人的には音はこっちが好きだ。(最初の印象が強烈だったからか?)4はMIDI装備、5は120メモリーになりこの二つは音が明らかに違っていた。レオには5〜6台プロ5があり、僕はプログラマー仕事用にバージョン3にMIDIをくっ付けて確保していたが、リースの需要が多い時は供出しなくてはならず、その場合音も初期化してしまうので、プロフェット10やT8に比重を移していった。プロ10はトーキングヘッズのジャパンツアーに一度出しただけだし、T8は僕が仕事で使っただけだった。
オーバーハイムの4ボイス。松武さんは8ボイス仕様で大活躍だったが、レオのはその半分の4ボイスであり、それを使った僕の仕事はそのまた半分もなかった。シンセに悪いことをした…。少し言い訳がましくなるが、1980〜1981年この時点でもまだ、会社も僕もプログラマー仕事に本腰ではなかったのだから稼動しないシンセがあるのも無理はないのだ。しかもこのシンセは持ちにくいしケースも重い。一人で運ぶには難儀である。短命で終わった理由はその辺りにもある。イジリ甲斐がありハイパスフィルターが特徴的なシンセだった。
シモンズはポラードのシンドラにとって替わる需要があった。パットを叩くことも勿論あったが、シンセダビング時に、生ドラムからトリガーすることが多かった。かぶりや強弱にバラツキがあるときは、ゲートとコンプレッサーでシェィプして対応した。残念なことに80年代の初めに氾濫しすぎた音なので古めかしく思われ、現在は敬遠されている節がある。僕はバージョン1 2 3挙句SDXまで追っかけたほどのフリークだったから、古い!などのネガティブ発言には反応してしまう。シモンズをオケヒットと同じに考えてもらったら困る!のである。
リンドラム1、内部発信のクリックを聴きながらリアルタイム入力でデータを作る。基本的に2小節1単位で作ったそのデータを譜面を追いながらつなぎ合わせて完成させる。タイムベースは48。MC4と同じパルスカウント信号で同期する。まぁ普通ドラムマシンはこんなものだし、それほど難しくはない。だが当時の僕はこの仕事がイヤで堪らなかった。仕事前夜は憂鬱で寝つきも悪く、病気になりそうだった。当時の医者はこの病気を『リン病』と言った(ハズはない)。 何故なら僕は譜面が読めないからである。
別に開き直るつもりはないが、事実だし悪びれる必要もないと考え、アレンジャーにお願いして譜面の番地書き込みとデータ入力をやってもらった。まぁ今思えば昔のハナシとはいえ汗顔モノ、ではある。勿論いつまでもアレンジャーにお願いする訳にはいかない。例によってトイレに貼り出して学習した。するとやっぱり効果テキメン、いつの間にか譜面を追えるくらいにはなっていた。リンドラムのリアルタイム入力はレオの仲間からレクチャーを受けて、これもなんとかクリアした。自分のリズム感があんがいイイことが判明、驚いた。
MC4はある程度自信が持てるまで仕事では使わなかった。半端な状態で仕事を受けて、もし失敗したら大変な致命傷になると考えたんだと思う。プログラマーをやってみようとハッキリ意識したのは、たぶんこのころだった。ところでMC4の場合、テンキーを使ったステップ入力なので、全ての音符を数値化しなくてはならない。そして厄介なのがCV入力よりもステップタイムの管理である。気を抜くと♪音符を25(正しくは24)などと打ちかねなく、つじつまが合わなくなってしまってパニックになる。僕は自分がやりかねないミスを徹底的にベリファイすることから始めた。結局MC4を88年くらいまで、つまり5〜6年間使ったことになる。これはデジアトム(MIDIインターフェイス)やSBX80のおかげがあったとはいえ随分長い期間だ。その間にMC4の不手際でクレームを受けることは一度も無かったのだから、自分にしては上出来だったと思っている。
