1985年その1

80年代に入ると、スタジオやその関連機器も急激に様かわりする。気がついた時にはSSL4000Eとソニー3324がカップリングされたスタジオばかりになっていた。しかもモニタースピーカーはオーラトーンが10Mから駆逐され、しかもそうすることが当たり前かのように、10Mにはティッシュペーパーが貼り付けてあった。確かボブ クリアマウンテンがそうしてるから、そんな理由だ。あんまりこんなことを言うべきではないが、【僕は3348とGシリーズは嫌いではない。】ところでレコーディングの現場で使われる言葉には、普通の人が聞いたら驚くものがいくつもある。勿論、専門用語などではない。「あたま、キっちゃえ!」「タタいて くれる?」は序の口で「ケツから無理矢理ツッコんじゃえ!」…戦慄する。「ナカに出してみよおかぁ〓」に至っては、何をかいわんやである。あと格言シリーズ、ってのもある。『ぷろごの魂 百まで』良いシンセは永遠だ。『逆も また シンバル』リバースシンバルの使い過ぎ注意。パラドックスだ。『オケつくって 魂入れず』文字どおり。『ボブクリ三年カキ八年』アレンジャー(カキ)になるのはエンジニアになるより難しい。
プログラマー業界内での再編にも、83〜85年に動きがあった。以下敬称略。松武〜ロジック、浦田〜EMU、藤井、梅崎〜TOP、迫田、石川、〜スマイル、菅原、木本〜インテンツォ、梅原〜タイトロープ、中山〜ジィーズ、池田〜ゼロ、etc、さてプログラマー界の二人の重鎮、松武、浦田両氏の僕なりのイメージは、松武(以下M)浦田(以下U)M〜AD U〜SR M〜モノ U〜ステレオ M〜イーミュの箪笥 U〜ムーグの箪笥 M〜打ち込み U〜手弾き M〜テクノ U〜プログレ M〜日本酒 U〜洋酒 と、このようなものになる。

僕は系譜としては浦田直系、中山君もRMCに在籍していた長浜さんに師事していたのだから同系である。あとジュン(遠山)やハカセ(北城)あたりも、浦田さんの仕事を診ながら伸びていった人たちなので、やっぱり浦田系と言ってもいい。しかしこの二人は体系はそうでも、体型は明らかに松武系だ。藤井君やスガチン(菅原)は音的にも松武系と言っていいのではないか?土岐君にしてもそうだが、プロ5でキコココカコココとクリックを出す人たちは、総じて松武系としてククられる。

シンセの仕事が多岐多様化してくると、クライアント(主にインペグ)との間に混乱や軋轢が生じてくる。例えば、料金などは各社まちまちに設定しており、ハンマーの場合もプログラマーの人数が多い分、随分槍玉に上げられたものだ。松武さんの呼びかけで、プログラマー間で統一した防御策を講じようということになった。後のJSPA(日本シンセサイザープログラマー協会)の設立に発展する、第一回目の会合はハンマーの事務所で行われた。メンバーは松武、藤井、中山、(あと誰だっけ?)僕を入れて6〜7名。不在だった浦田さんを加え、この時のメンバーで理事会を形成した。僕はプログラマー駆け出しのころ、松武さんの現場にリンドラムを持って行った事が数回あるが、その時の印象から「松武さんは寡黙で近寄りがたい人」だと思っていた。それだけに会合での松武さんの多弁、雄弁ぶりにはまったく驚かされた。あのクラスの人ともなると、スタジオ内ではモードが切り替わっていたのだろう、すっかり騙された。それにしてもどうにかこうにか30年の僕に比べて、松武さんはより長い年数に渡って、ギョーカイを牽引しているわけで、これは本当に凄い事だと思う。

そのような成り行きでJSPAの理事を仰せつかったわけだったが、『ハンマー枠理事ひとり誰でも良い』と解釈して、数年後にクーニャにその任を引き継いでもらった。(というか、任せた。新理事→シンリジー)欠点というか弱点というか、簡潔に言えば僕は昔から大勢でツルむのが苦手なのである。(体験上、八人が限度だと思っている。)とはいえ松武さんやJSPAにとっては、これが大正解だったわけで、国友は現在のJSPAには欠くことのできない人間だ。僕は2006年、JSPAを退会し、今はMPNに所属しているが勿論シンパは感じている。