1985年その2

細野さんのレコーディングに2日連続で呼ばれた。スタジオはサウンドシティとセディック、シンセをフルセット準備して気合い十分は言うまでもない。両日共13時スタートだったが、両日共、クリックだけの録音で終了した。細野さんはスタジオに入るなり作曲を始めたが、10時間ほど経っても完成しなかったのだ。それでもテンポだけは決定したらしくそれを何故かカセットコピーしていた。坂本さんがトーマス ドルビーとコラボった時は、カーツェルK250を持って行ったがハナからハイハットだけの為だった。〜やっぱり範疇を超えた人たちだ。

フランクフルト・ミュージック・メッセは、毎年二月か三月に5日間開催される。二日目までが業界向け、残り三日間が一般に公開されるヨーロッパ最大の楽器フェアである。僕は85年から7年連続して見に行って来た。ついでに欧州各地にも足を延ばし都合一週間ぐらいの旅行になった。米国にもNAMMショーがあることは知っていたが、どうせ行くならヨーロッパである。「社運を賭ける意気込み、決して物見遊山などではない。」これは満更嘘ではないが、正直に言うと楽しみは他にもあった。人に言えない話しではないが、言うほどの話しでもないので省略する。最初の数年はフェアライト、PPGなど有名メーカーが揃って健在だったこともあり、会場の熱気は凄まじくちょっと感動的ですらあった。メーカーは各ブースごとに様々な趣向を凝らしていたが、とりわけPPGのブースは群を抜いて素晴らしかった。いわゆるホームの強みもあるのか結構広いスペースに陣取っており、それだけでも目立っていた。照明は極力落としてあり、そのためピンポイントのライトが、あのブルーパネルを効果的に浮かび上がらせている、といった趣きである。とにかくシブイ!の一言に尽きる。

カメオ・インタラクティブ(当時はまだナニワ楽器)の村井(清二)さんからPPGの社長ウルフガング パーム氏を紹介された。その風貌と人柄はPPGが醸しだす雰囲気そのもので、僕はムーンライダースとイメージをダブらせていた。そもそもPPGはパーム氏がタンジェリン ドリームの為のシンセサイザー開発を目指してオーガナイズしたもので、その出自もハンマーがムーンライダースにコミットする部分と似ている。後日ハンブルクにあるパーム氏の自宅を訪問した際、開発途上だったHDU(ハードディスクユニット)を見せてもらったが、彼はEL&Pをサンプリング素材にしてHDUの解説をしてくれた。もう感動するしかなく、ムーンライダースにはPPG!こうなるのである。折りしもイタリアのディーラーがPPGから撤退することになって在庫を放出したいとの情報があり、ハンマーはウェーブターム他一式を格安で入手することが出来た。この直後に制作されたムーンライダースの名盤『ドント トラスト オーバー30』でのPPGの活躍は喜ばしい限り、まさにシテヤッタリだった。話しをメッセに戻そう。デジデザインのブースも85〜86年には存在していた。Pro Toolsがプロトタイプで出展されていた。デモンストレーターが「これは映像とのシンクロを主眼においたシステムで、現時点では音質は二の次」みたいなことを言うので、「音が二の次とはナンだ!」と思い、反発した。その時の印象のまま Pro Toolsを無視し続けていたが、20年以上を経た現在の状況をみるにつけ、自分の早計な判断が若干悔やまれるところだ。マーク オブ ユニコーンもパフォーマー バージョン1.01を出しており、これは即売をやっていたので1セット買ってみた。Macintosh512Kに繋げて動かしたが、爆弾マーク(バグ)ばかり出て、随分焦った。

精神衛生上もモンダイがあるし、その時点では「日本のスタジオでは使いモンになんねぇ〓」代物だった。 松任谷さんの仕事(TV番組カーグラフィックのテーマ曲)と萩田さんの仕事(南野陽子さんのアルバム)数曲で使ったきりお払い箱にした。巨匠たちの白い眼を気にしつつ、爆弾出るナ、〓デルナと奮闘虚しく墓穴を掘った自分が恨めしかった。アタリST+Pro24も2セット買ってみたが、これも使い難くやはり同じ運命を辿った。シモンズドラムがニューマシンSDXのデモンストレーターにビル ブラッフォードを起用しており、おなじみの彼のサンプリング音源を駆使して、熱いパフォーマンスを披露していた。というのも、彼はマシン開発にも積極的に関わっているのだ。僕は「案外 イイ音するねぇ、ビル。」などとファンであることを隠し極力クールを装い、代理店業務を日本で展開するだろうカメオの村井さんを通じ、2台まとめて「お買い上げ」予約をしたのだった。このマシンにはシーケンサーの機能もマウントされるフレコミだったが、メーカー倒産の憂き目にあい、とうとう完成されることはなかった。SDXは史上最高のドラムマシンだと断言できる。ルックス、クオリティ、ドコをとっても唯我独尊、究極のブッチギリだ。ムーンライダースではアルバム『最後の晩餐』以降、SDXの音を聴くことができる。 フェアライトCMIについては、心穏やかでいられない部分もあり食指も動いたが、プログラマーが日々持ち歩くという点にリスクがあり断念した。それに当時の我々のようなプログラマーには、プリプロダクションの必要性など主張できる立場にはなく、従ってページRなどを駆使してフェアライトならではの特性を引き出せる可能性も少ないのである。『宝の持ちぐされ』、せいぜい高額なサンプラーに成り下がるくらいである。音楽制作を『まずフェアライトありき』で考えないといけない。(これはシンクラビアも同様だ。)ピーター ゲイブリエルの特権階級サウンド、サームSTでのトレバー ホーンやステファン リプソンの使い方、愛用のメロトロンとのルックス的調和の理由で選択したかもしれないOMD(音的には他のサンプラーでも過不足を感じない)、スイスのモーホなユニットYELLO 、ケイト ブッシュやオフラ ハザ組、 そして(それ無しでは生きていけないライナスの毛布のような存在)トニーマンスフィールド、etc.…

ミュージックメッセには七年間のうち一度だけパリ開催の年があった。その時は日本のギョーカイ人も沢山来ていた。(パリだからって…、ほとんど観光気分に違いない。)市内にある『 ルイ14世』という店にカキ(オイスター)を食べに行ったら、そこにはやたらに着膨れした日本人がいて、よく見たら遠山ジュンであった。サウンドマンの森本君たちと一緒にメッセ見学に来たとのことだ。それにしても、こんな所で会うとは…→『ルイは友を呼ぶ』。メッセやドイツのネタは、まだまだ尽きないが、一先ず。

かつては行きたくても行けなかった英国にも、80年代半ばから90年代前半にかけては随分御縁?があった。メッセの時は必ずフランクフルトからロンドンを廻っていたし、それ以外でも仕事絡みで数回、フラットを借りて三ヶ月くらい滞在したこともある。僕は子供のころからずっとイギリスが好きなんである。読み物はドイルやクリスティが好きで、色はブリティッシュ グリーンが好み、靴はクラークス一辺倒。紅茶(アールグレイのティーバッグ)を飲みつつ、ロスマンズを吸い、ジェスロ タルやスタックリッジをターンテーブルにのせ、ホームズ話を読む。