1985年その3
「英国遊び」ささやかではあるが幸せな時間だった。音楽に関しては60年代ドノバンに始まって、プログレにハマり、そのあとはそれこそ何でも聴いた。(ピストルズあたりで少しくじけそうになった。)僕にとって幸運だったのは、レオの先輩に杉山さんというその道の達人がいて、僕が知らないあるいは聴けなかった廃盤、貴重盤をかなりの数、補って貰えたことだ。杉山さんと下北沢のエジソンに通いつめ、アフィニティやケストレルなどの高額プレミア盤をため息まじりで眺めていたことを憶えている。キーフ制作のジャケットのなんと美しかったこと…。
ジャケ買いやレーベル買いは、そのころからの癖になった。80年代は何故かネオアコ中心になった。エル、4AD、チェリーレッド、クリエイション、サラ、ラフトレード、コンパクトオーガニゼイションetc.。ムサボッタという表現が合うくらいだ。ナニゆえネオアコだったのか?いわゆる反動(仕事、または今まで聴いてきたものからの)のようなものだったかもしれない。軽いものが良かった。そういえばビートルズを真面目に聴いたのもこのころだ。ビートルズの凄さは、録音などに関しての知識がある程度備わってから聴くほうがよくわかった。
ビートルズで好きなアルバム、「サージェントペパーズ〜」と「マジカルミステリーツアー」。これは『50%の予定調和と50%の偶発に対する妥協』の産物だ。偶発とは、度重なるピンポンによる予期出来ない音質の変化(例えばテープ コンプレッション)や編集段階でのやはり意図とは違った結果、そんな意味だ。一般に「イギリス的」或いは「イギリスぽい音」と言われるものがある。音的には中域がせりだし、ウェットでなんだかクグもっている感じ、音楽的にはクレバーさと諧謔精神が求められ、一朝一夕にはモノに出来ない部分なのである。
「アビーロード」前後からは高音域に独特なシャラシャラ感が加えられ、よりポップな方へ向かっていく。デヴィッドボウイの「ジギースターダスト」はこの典型だったが、逆に少々マスキングさせ通好みに仕立てあげたのがエルトンジョンのプロデューサー、ガス ダッジョンである。「グッバイイエロー〜」「キャプテンファンタスティック〜」での彼の仕事は特に秀逸だが、音的なこだわりがスネアの響き線の(周波数の)ハイエンドとパーカッションやアコースティックギターのハイエンドの絶妙な処理に見受けられる。
アンディパートリッジが、何年も経って、思い出したようにガスを起用したのはたぶんその辺りを狙ってのことだと僕は思っている…。この音質感は10CC ELO アランパーソンズ一連の仕事、或いはライラックタイムやドリームアカデミーなどを経て一部ネオアコにまで、継承されている。(ネオアコとフォークロックの違いは、この部分への気配りが有るか無いないかの差もある。)テクノロジーの向上や、派手さ明るさを求められる風潮によって、この「イギリスぽい音」は減少してしまったが、なんとか再起復権を果たして欲しいと思う。
英国らしさの意識はシンセサイザーでの音作りにも反映する。クグもったプロフェットPad、強めにかけられたピアノのコンプ、モデュレーションをギリギリ深く懸けた音、シモンズのノイズ成分ハイエンドとアコースティックギターのハイエンド成分の絡み、あえてショボくして「シャレ」だと言い切る気骨、このようなものが、つまりは「イギリスらしさ」を踏襲している。大切なのはハイエンドシャラシャラ+諧謔1に対して、クグもり1.6の完璧な英国フレーバー黄金比を成立させる、このことに尽きる。
我が国にはこの真性英国趣味の人は案外多い。推定では20000人を下らないと思われるが、残念ながら若い世代にはほとんど分布していない。特に30歳未満の女性は皆無と言って良く、英国らしさを理解するために例えば50歳以上のソノテの男性とお付き合いするとか切磋琢磨して欲しいものだ。ちなみにギョーカイには100人くらい存在している、モノと思われる。上級者ともなると、マッカランの12年モノを舐めながらジェスロ タル『パッション プレイ』を聴いて笑っていられる。読むべき本は、言うまでもないだろうが。…『ストレンジ デイズ』。
ロンドンでの記憶はやたらに錯綜しているので、どれがいつの事か定かではない。以下思い出す順に書いていく。ライブハウス マーキーに行った時の話。このころ売れていたワンチャン(犬でも王貞治でもないWONG‐CHANG)のライブをたまたま観ることができた。チケットが幾らだったか忘れてしまったが、それほど高くはなかったと思う。それは日本の料金と比べてのことであってロンドンの若者にとっては大変なのかもしれないが…。なにせ70年代から続くイギリス経済の停滞を打破すべくサッチャーさんが大鉈を奮っていた時代だ。
モリッシーが「マーガレット サッチャーは殺すしかない。」と言っていたくらい、改革の歪みが若者たちを直撃していた感もあった。(僕は人頭税の事もこの時期初めて知ったが。)もともと英国には漠然としたカーストは存在していたわけで、パブリックスクール出身以外の若者はミュージシャンかサッカー選手に成るしか希望が持てなかったのだが、直のこそその閉塞感は想像以上だったはずである。で、その日のマーキーも大半がそんな若者たちだったに違いない。僕はPAコンソールの傍でPAマンの仕事を眺めつつ聴くことにした。
ギグが始まるとすぐに若いヤツが来てPAマンになにやら訴えている。どうも、ドラムの音量を上げてくれ、みたいな事を言っている。PAマンはOK!と言ってドラムのフェーダーをいじっていた。すると今度は別の若者がギターがどうのこうのと言いにきたが、PAマンはまたしてもリクエストに応じている。結局2〜3曲演る間に7〜8人の若者たちが、入れ替わり立ち代わりやって来たが、その都度PAマンは彼らの希望を聞き入れていた。僕は最初彼らはバンドや店の関係者だろうと思っていたが、れっきとした客だということは、しばらくしてわかった。
そしてそのうち誰も来なくなった。彼らは「自分はこう聴きたい!」と、それぞれに主張していたのだ。なにせ、なけなしの金を払っているのだから必死である。PAマンはその事がわかっているから、できるだけ彼らの要望に答えようとする。誰も来なくなったという事は、その時点でのマーキーの客ほとんどが音に不満がない、ということである。確かに音は素晴らしく良くなっていた。僕はなんとなく英国の底力!の一端を垣間見た気がした。
某日。日本人アーティスト三人がロンドンでレコーディング中との情報があった。僕は陣中見舞いを思い立ち、まず岡村孝子さんのスタジオへ行った。ここには萩田さんと中山君もいるはずなので、びっくりさせようと意気込んだが、OFF日で会えなかった。次はマナーSTの中島みゆきさん。フェリックス ケンドールがエンジニアだとの話である。向かう途中で、瀬尾さんから「お前ナニしに来た。」と、言われそうな不安に押し潰されて断念した。最後は、飛鳥涼さん。この人は間違いなく歓迎してくれると思ったが、僕が行った途端、M1が炎上してしまい絶句した。このM1は飛鳥さんが日本から持ち込んだもので、アシスタント君がうっかり220Vの電源に入れてしまったのだ。 このころはロンドンに限らず海外レコーディングが盛んに行われていて なんだか活気があった。
H.UK(ハンマーUK)はロンドンで何かやってみたいとの想いで作った会社だった。プログラマーの仕事、コーディネート、何でも良かった。現地法人にしたかったので、HHBの社長夫人であるミチヨ ジョーンズさんに社長を引き受けて貰った。そしてORの大庭さんに実務をお任せした。HHBとはイギリスでのアカイやソニーの代理店業務の他、幅広いビジネスを展開している会社だ。社長のジョーンズ氏はとても楽しい人だった。ジョーンズ氏の自慢は二つ、まずはアヒルグッズのコレクションだ。家の中其処ら一面アヒルだらけだった。確認はしなかったが、バスタブにもアヒルが浮かんでいるはずで、微笑ましい反面、若干キモい気もした。もうひとつの自慢は彼の出身地がビートルズの「ア.デイ.イン.ザ.ライフ」の歌詞に出てくるというものだった。ジョーンズ氏はアルコールが入る毎にこの話をする。他にはフィル コリンズやマイク オールドフィールドのエピソードやT.S.C.(ザ シンセサイザー カンパニー)の話。T.S.C.は、ある意味HHBのライバル会社だが、ペットショップボーイズ御用達であることで有名になり、その為少し圧され気味だと不満げに話していたのを思い出す。
オックスフォード ストリートは日本でいえば銀座みたいな所で、歩いていれば知っている人によく出会う。土屋さん(昌巳)さんやホッピー神山さんとは行く度にすれ違っていた気がする。『気軽に話しかけんなよ』オーラが出ていたので声はかけなかった。カムデンマーケットでは溝口(肇)さんと遭遇した。面識はなかったが何故か一緒にお茶している。(誰か第三者がいたのか?)セロのケースを探しているとの事だったので楽器店が密集しているデンマーク ストリートへ案内したが…。オレンジ色のケースをお買い上げ、ではなかったか?
ロンドン在住の日本人にも会うことができた。小林泉美さん、本田BINOさん、亀井登志夫さん、ビートルズを知らずにジョージ ハリソンの髪をカットしている美容師青年。大庭さんも含め、誰もが共通して、活力はみなぎっているものの、決してギラギラとはしていない、精神的なゆとりみたいなものも感じられた。「ロンドンで何かやりたい」意気込みだけで乗り込んだ自分とは覚悟も違えば、価値観なども明らかに違う。自分の過信がバカゲて思われ、一度出直して来るべきだと悟った。だからこそH.UKの撤退にも躊躇しなかったが、…失敗だった。
ジョセフィン テイというイギリスの作家の代表作は『ザ ドーター オブ タイム』、邦題は『時の娘』である。時の娘…そのまんまだ、直球すぎる、いかにも投げやりだ、と最初は思った。そのうちなんて素晴らしいタイトルだろうと、考えを改めた。含蓄があり、読んでみたくなる気も湧いてくる。一方、世に出て100年ほど経つにも関わらず、あのコナン ドイルの名作『ア スタディ イン スカーレット』の邦題『緋色の研究』が間違いで「緋色の習作」が正しいと、こともあろうに「シャーロキュアン ジャパン」が言い始めた。とんでもない話しだ。
字面を見ても、口に出しても、明らかに『研究』の方がシックリくる。そもそもホームズとワトスンが初めて会ったのも研究室だったわけだからストーリー的にも『研究』の方がつじつまが合うのではないか?。と、大村市立図書館で独り怒っていたら、ダン ブラウンの『エンジェルズ&デーモンズ』に眼が止まった。エンジェルズ&デーモンズと何回か呟いていたらXTCの『オレンジズ&レモンズ』を連想した。コックニーをもじったアップル&ピアース(階段)も果物が二つ。これらを繋いで考えると 気になってしょうがない、が調べる術もない。
次になんとなく浮かんだ言葉は「パーティ券」だ。(政治家のアレ)アレはワイワイガヤガヤのパーティなんだろうか?パーティには政党という意味もあるが‥。「政党券」、こちらの方が、ヤベーウシロメタソーな感じがするがホントはどうなのか?バンド名『ニュー オーダー』を「新しい注文」に訳すとなんだかマヌケで、ワタミあたりで、薩摩揚げや餃子を追加注文している図など想像するが、やっぱり「新 秩序」だと生真面目な青年像になるので、こっちだ。そのテイで云うと「コート オブ クリムゾンキング」のコートは宮殿ではなく法廷?
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