1986年
198〇年〇月〇日〜BOXのレコーディングに向けて、スネアの音をいくつかサンプリングするためにエンジニアの飯尾くん、同じく赤ちん(赤川)そして土岐くんと僕の四人で音響ハウスに集まった。BOXの仕事には飯尾くんエンジニア、僕プログラマーで参加するが、今回の趣旨はリンゴのドラムを打ち込みで再現する というものだ。飯尾くんがスネアを叩き、赤ちんがイコライジングする。それを土岐くんがウェーブタームでファイルを作り、僕がPRK FKで読み込みPPG2.3でエディットして使用する。
シモンズSDXの登場前の頃で、当時の我々のマシン中、ドラムサウンドに関しては、PPGはベストだった。イミュレーターより音に奥行きがあるし、好みにもよるがたぶんフェアライトとも遜色がなかったと思う。ワンショット限定ならAMSにサンプリングしてトリガリングする手もあるが 細やかなニュアンスを求められるここでは却下。ちなみにアンディ パートリッジはコルグのDDD‐1とそれを使ってトリガーさせたAMSを併用している。(ザ デュークス 〜で可聴) DDD‐1には独特の音色傾向があり英国風味を感じさせる。
そういえば、飯尾くんと赤ちん、戸田(誠司)くんと僕の四人で三宿の909というプールバーにハマったことがある。ここは明け方5時まで営業していた。ギョーカイに限らず出版系、放送系など夜方の人々が酒を飲んだり、玉を突いたり、ちょっとクールダウンに立ち寄ってみようかみたいな趣きの店だ。和気あいあいと遊ぶためのバカラやブラックジャックなどのカードゲームの他、ルーレットも二台あり、ちゃんとディーラーも数人いる。勿論 賭博ではなく、単なる遊びである。にもかかわらずこの四人は、和気あいあいするつもりは 全然ない。
とにかくなにがなんでも勝つ、勝つまでやる。ユルギがない。勝ってもナンにも貰えないのにである。この事で伺い知れるのは、音楽に対峙するのとギャンブルに興じるのは、彼らにとって同義である、というイデアだ。そして音楽による興奮、そのカタルシスには別の興奮をぶつけるしかないのだ。さすがこの三人はひと味違うと思った。四人集まれば必然的に桜新町のジャン荘アサヒになだれ込むことになる。ジャン歴数十年、あまたの戦歴を誇る僕ではあるが、ただの一度も勝てなかったのは、…口惜しい。
ハーフトーン ミュージック(以後ハーフトーン)は武部聡志氏と中島睦氏を中心として80年代初め(70年後半?)に作られた。二人が社長を務める。設立当初のハーフトーンは両人に加え須永氏、岡本氏のわずか四人だったものが、80年代後半には社員数十人、所属ミュージシャン数十人の大組織になっていた。ハーフトーンにもシンセプログラマーが数名所属していたが、スタッフのやりくりやマネージメントが難しく、少々持て余し気味だとのことで、業務提携の形でハーフトーンのプログラマーをハンマーに移籍させる、こういう次第になった。
武部さんやムッちゃん(中島睦)との付き合いは、僕がプログラマーとして仕事を始めて間もない、81年『本田泰章』のレコーディングに遡る。武部さんもアレンジャーとしての活動を始めたばかりだったので、お互いガンバロー的意識みたいなものもあった。そういうわけで業務提携バナシにはなんの抵抗もなかった。傍若無人にも社名を変えろと要求され、チッと思ったが、彼らの顔をたてて『HAM』(ハム)に変えた。HAMMERからMERを取っただけ、つまり「まー(MER)いいか」だ。ハムのプログラマーとして大竹、飯田、山中の三人が加わった。
事務所の応接室をツブシてスタジオに変えた。一応多目的、おもにプリプロ用にどうか?と考えた。コンソールはサウンドクラフト24、レコーダーはアカイのデジタル12CHとフォステクス16CH(シンクロ可能)、モニタースピーカーはジェネレック30(旧タイプ)、マイクはシュアの57一本、キューboxはなし、マスターレコーダーはソニーのDAT、自慢はTUBE‐TECH七台(HA×1、EQ×2、midEQ×2、COMP×2)。業者に頼んで防音設備も施した。とにかくこれくらいのハコがあれば、誰かがナニかに使うだろうと思ったのだ。買ったレコードもすぐ聴ける。
その方面の雑誌にプログラマー募集の広告を打ったところ、意外な数の応募があった。略歴つきのデモテープが送られてきた中、一際異彩を放つものがある。シンセの音が入っていないシンセサイザープログラマーのデモテープ‥。ハードロックみたいなそれは、よく聴くとドラムが打ち込みだった。その辺聴いてくれってことなのでちゃんと聴いたら、なるほど良く出来ている。山ちゃん(山岡広司)はそんな経緯でハムに加わった。彼が姑息な手を使ったので、こっちもイレギュラーな作戦を考えざるをえない。僕はシモンズSDXを彼に預け、そして「一週間で覚えてね」と言った。その一週間後に萩田(光雄)さんの仕事があったが、彼はその現場を難無くクリア、以来20年ちかく、僕のほとんどの仕事は山ちゃんと一緒にこなしてきた。プログラマーに限らず、得てしてアーティスト寄りの人は、どんな仕事にも対応できるものではないが、彼は苦にしないみたいだ。それでも…サニー ブライアンとシルク ライトニングで決まった皐月賞。彼はその二頭からの流し馬券を買っていながら、肝心のその二頭の組み合わせを買っていなかったという失態を犯してしまった…。こんな痛恨も彼にはある。
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