1990年その1

90年前後のプログラマー仕事に使ったものは、シモンズSDX、シモンズラック、プロフェット10、PPG2.3+PRKFKキーボード、エキスパンダー、JP8モジュール、M1、イミュレーター㈽、マイクロウェーブ、リン9000、オスカー、DX7㈼、98+カモンMセット×2、etc.今思えば恥ずかしくなるほどの量である。これを仕事をする毎にスタッフが全部セッティングしてくれるのだ。この頃になるとオリジナルの音をスタジオでサンプリングしたり、音色を一台のシンセで哲学的!に作り込むなんてことも稀になった。在り物ソフトで賄えるのだ。

アレンジャーからの要望もゴージャスな音傾向になっていった。MIDIを使っていくつもの音色を同時発声させるのだ。ベーシックのギターもエフェクトされてステレオ、ドラムスも固めに処理され、しかもデジタルリバーブに塗れている。そこへ我々のシンセがダメオシに襲いかかるわけだ。これを密かに『複合汚染』と呼んだ。【我慢だ】【世の中がこういう音を所望しているのか?】【そうだとしても制作サイドがそれに迎合していいのか?】【プログラマーふぜいとはいえこんな事は考えるぞ】【淘汰されるべきは?】【ひょっとして我々の音か?】

【このままだとシンセプログラマーの仕事はなくなるに違いない】【5年先はどうなる?】【世間ではバブルが崩壊しそうだし‥】【制作費も頭打ち、プログラマーには一層風当たりが強くなる】【ハムには何人の社員がいる?】【ナニか手を打たなきゃ】【ロンドンでの仕事は?】【ハムスタジオの使い途は?】…時代への対応、会社の状態に綻びが生じてきたのである。こんなことをグタグタ考えていたが、以前のように自分ひとりのハナシではないのであって、…難しい。できれば楽しかった事だけ思い出せればいいのだが。

楽器不要、身体ひとつで来いと言われてフリーポートSTへ行った。鷺巣さんがクライズラー&カンパニーの仕事をしている現場だ。鷺巣さんは「僕の恩人五指」に入る人だから、二つ返事で参上した。用件はクライズラー〜のメンバーにロックを教えてやってくれ、というキテレツなものだった。デビューしたばかりの彼らの事は話題にもなっていたので多少は知っていたが、いきなりロックを語れと言われても…。(アカデミックな学府でもロックを教えるべきだ。)事前に言って貰えたらレコードくらい持って行ったのに…、PFMを推薦した。

別件でも、身体ひとつで来いと言われてEMIの3STに行った。M.L(特に木村さん)は「僕の、頭が上がんないギョーカイ人五指」に入るので、言う事を聞かざるを得ない。小沢健二君の現場だった。スタジオには名だたるアナログシンセがセットされており、それを使って音を作れとのこと。こーゆう古いシンセはベテランじゃないとねー、というわけである。実際若手プログラマーがトライしたものの駄目だったそうである。いつの間にか自分もベテランと呼ばれるようになってしまった…一抹の寂しさを感じながらディスコチックな音を作った。

ヤマハのシンセサイザーCS‐80が好きだ。チューニングの問題(機体内部で調整が必要)をクリア出来ればもっと仕事で使いたかった。『UK』の来日時、リハーサルでのエディ ジョブソンのセットを見たが、2台のプロ5よりCS80をメインで考えているセッティングだった。相当重用しているのだろう。CS80の愛用者と言えば、サッド カフェのヴィク エマーソンもそのひとりだ。ヤマハを讃えたその一方、僕はDX7が苦手である。もちろん個性的だとは思うが、僕の場合はあのギギャとかグギャみたいな音が生理的に駄目で…。

発売された途端ほとんどのプログラマーがDXの導入を決めたみたいだが、僕は知らん顔を決めた。ところが世間ではDXのキラッとしたエレピサウンドがすっかり市民権を得てしまうのである。雇われプログラマーとしてはアレンジャーの要請がある以上無視もできなくなってしまった。そんなわけでDX7㈼をそのエレピ対策に使う事にした。かつてボブ ジェームズが広めたダイノマイピアノといい、ベーシックがキラキラし過ぎるとそれにオケが支配されつまらなくなる。その後のシンセダビングが石を抱かされて座っているようなものに感じられた。

「流行は文化を撹拌する」と云うが、DXの音が氾濫する傾向は、僕にとっては歓迎するものではなかった。とりあえずプログレが死ぬ。プログレの様式美を理解していれば、DXを使ってはならない、こんな事は三歳児にも解る。僕は控え目な人間だがこれだけは断定する。ポップミュージックは決め事が無いから楽しい。しかしプログレは縛りがある、文化なのである。独断と偏見を承知で、あえて思っていた事を書いた。〜DXのくだりから読み返したらやはり言い過ぎた気がする。いくらなんでも三歳児はないだろう。中学生に訂正したい。