1990年その2
1990年、ハーフトーンがギョーカイ配布用CDを制作することになった。プロデューサーは中島睦氏。往年の洋楽ヒット曲のカバー集である。これには外部向け宣材目的以外に、自社所属のミュージシャンに初々しい感性を喚起させ、尚且つオーバープロデュースに走りがちな風潮をも自ら戒めようという、彼ならではの一網打尽的意図もある。彼の粋狂なのか僕はエンジニアとして起用され、初めて録音とMixを経験することができた。しかも10曲全てがアナログマルチ、面白かった。この経験はその後の僕にとって、随分大きなものになる。
レーベルを立ち上げたのは、ギャングウェイをリリースするため。ここで『ハンマー』を復活させた。会社の今後を模索する一環だったが、あんまり賛同は得られなかった。H.UK挫折の後味の悪さを引きずり、僕も独断で事を進めるようなところもあったから、致し方ない。もっとも周りはシンセサイザープログラマーという稼業にそれほど危機感を持っていなかったのか、さも僕がプログラマー仕事を辞めたいが為に、何にでも手を出そうとしているかのように思われていたフシもある。
ハムの事務所があるマンションの同じフロアに『ZEST』というレコード店があった。社長は若林氏。以前は洋服をやっていたとのことだが、そのスジの音楽と熱帯魚に関してもやたらに詳しい人だ。ネオアコ中心のその店で僕はお得意様だった。店には三人の若い子が交代で立っていて、彼らが僕の好きそうなもの(又は売れ残り)を確保してくれていたのだ。カジ(ヒデキ)君が一番親身に選んでくれていてハズレも少なかった。カンチャン(神田朋樹)はどーでもよさそうで、仲(雅史)君は、たまにはこんなのも聴けばァと、わざとハズしてきた。
ギャングウェイをハンマー(レーベル)からリリースする話をした時、若林さんがライターの瀧見(憲司、以後タキミ)君を紹介してくれた。彼もギャングウェイ好きだとのことで、雑誌に(好意的な)記事を書いてくれると言う。そのかわり近々立ち上げる予定の彼のレーベルには僕が協力する、そういうことになった。そして事務所のスタジオを見せたりしながら会社や自分の仕事を説明したはず?だったが、たぶんナニかの拍子に「出来る事はヤってあげるよ」などと安請け合いしたのだろう、いきなり10数曲MIXしろ、と言われてびっくりした。
クルーエルレコーズのコンピレーションアルバム『ブロー アップ』はフォステクスのハーフinch16上でミックスしたが、テレコを回すたびに音が劣化するので、「なるほど、ドラムスやボーカルはアカイのデジタルに移したほうがいいか?」などと学習しながら作業したことを憶えている。次のミックスはカヒミ カリィのシングルだったが、これにはアカイもシンクロさせた。好みのサウンドなので少しイジッてみたくなりオートハープを足した。あと録音されていた口笛が不安定だったので、ちゃんとした?ヤツを自分で吹いて混ぜてミックスした。
勿論彼らの音楽をどうこうしようと考えたのではなく、良かれと思うことを控え目にやっただけである。駄目なものは却下されるだけ。クルーエルが目指すものはタキミ君が決めることであり、僕は基本的にエンジニア(スタジオのおじさん)に徹していた。ところでこのミックスの最中に事務所のテレビゲームでずっと遊んでいる少年?がいて、一体何者だろうと思っていたが、彼が小山田(圭吾)君だった。僕は彼のこともフリッパーズ・ギターのことも全く知らなかったので単純にカヒミ カリィのオケのセンスに驚いていた。
カヒミカリィの次のシングルで、今度はエル・マロにびっくりした。まったく奇才はどこに居るのかわからない。会田君の現在の活躍は当然といえば当然、一方僕がリスナーとして大ファンであるところの柚木君は今どうしているのだろう(僕が知らないだけなのか?)?僕はcobaのリミックスでカヒミ、エル・マロの二人、exブリッジの清水君、十川(知司)さん、やまちゃん(山岡広司)を一曲の中でコラボったが、自分好みのミュージシャンから出た音を好きなようにミックスする、あれほど幸せで冥利な仕事は滅多にない。
クルーエルのすぐ後に今度はZESTの仲君がレーベルを始めた。トランペット・トランペットというレーベル名が、すぐにエスカレーターに代わった。リリースはクルーエルより頻繁で、作り方も粗かったが、それがイイ方に作用していたように思われた。オモチャ箱のような〜は例えが平凡だが、実際彼の意図したものはそのようなモノだっと思う。シーガル〜、スナップショット、個性も豊富だしやっぱりオモチャ箱でイイんだろう。ポータブルプレーヤーで聴くドーナツ盤を想像させ、なんだか楽しい。
ラヴ タンバリンズ最初の二枚のシングルもフォステクス16CHでのミックスだった。(二枚目の表題曲だけデジタル24CH)。ところで、クルーエルと仲君のレーベルのものは、トータルでTUBETECHのEQ(MONO)とCOMP(MONO‐link)を使い、自宅のMacintoshプリアンプのEQ+COMP又はエキスパンダーを挟んでDAT→DATへコピーするという、エンジニアによっては卒倒為かねない荒業を用いている。これは色々模索した結果こうなっただけで、当時の巷で氾濫する音に正攻法で挑むのはどう考えても無謀であり、敢えてとった苦肉の策なのである。…ミタイな
ラブタンのアルバムは、アナログ24CHを用いたスタジオで、じっくり時間をかけて制作された。メジャー顔負けの制作費を計上したのでは?と思われた。タキミケンジという人はクレバーなだけでなく胆力も持ち合わせている。たぶんヤラセたらギャンブルも強いはずだ。そんなわけで?、このアルバムには例のTUBETECHは持ち込んでいない。想うに、かつてシンセサイザープログラマーに至った時も数々の幸運に恵まれたが、エンジニア領域においてもアナログ、デジタル、TOOLSと、稀有な素材に巡り合いながら経験できたことも幸運なことである。
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